あちこち片付けながら目指すは7割収納。
これが、なかなか難しい。
5割はハードルが高すぎるし、8割は多いような気がして7割をいつも目指すけど、
よし、出来た!
と思って見るとどう見ても7割じゃないという。
まあ、10割じゃなくなってきてるからよしとする。
片付けだろうが断捨離だろうが1回で終わるわけないのよ。
そのぐらいの気持ちがないと片付けられない、わたしの場合。
見えるところに物が並ばなくなっただけでも頑張ったわたし(笑)
『ミニマリスト』という言葉じゃなくて存在。
わたしは一生なれないから『憧れ』。
壮大な夢がある割に、本もCDもDVDもレコードもゼロに出来ないし、TVも捨てられない。
TVはニュース以外殆ど見ないけど、サブスクで海外ドラマと映画観るのが好きだからTVのない生活は考えられない。
遺品整理がてら家中の物を処分しながら考えてたのは、『ミニマリスト』って定義は人それぞれなのかも、って。
例えば服が10着でOKの人もいれば30着がちょうどいい人もいる。
モノトーンが好きな人もいれば、好きな色がある人もいる。
いろいろ参考になる写真やSNS見てニヤニヤするの大好きだけど、ひとまねこざるは絶対どこかで無理が来る。
わたしが決めていること
1.ストックは必要最小限にする
2.今は『買わない』を徹底する
3.今もやもやしている物で買い直せる物は一旦手放してみる
はぁ、道は遠い。
やりたいこととやらなきゃいけないこととのバランス。
1日も早く家の中をスッキリさせたいと思いつつ、頭の中では
あれやりたい
これやりたい
がむくむく。
やりたいことが脳内占め始めると片付けの手はスローダウンしてゆく。
そんな時はとりあえず放置して珈琲淹れて一服(だから片付かない)
喫茶店巡りしたいなー
図書館に行きたいなー
日帰り旅もいいかもなー
旅っていうと大袈裟だから当てもなくどこまで歩いていけるかやってみるのもいいなー
一日中片付けのこと考えずに本読み漁りたいなー
などなど、現実逃避も甚だしく、煙草を吸い終えてエイ!と気合い入れてまた席を立つ。
何の予定もない休日は大体こんな感じ。
生まれついての収集癖のせいで、本でもCDでもDVDでもなんでも手元に置きたいタイプのわたしは、とにかく「すぐ買う」派。
だいぶ手放したけど、よく今何冊あるか、何枚あるかって数えたりしてた。
いちばん近い記憶で本は600冊、CDは1000枚、DVDが400本・・・ぐらいだったかな。
ずらり並んだ本やCD見て悦に入ってたけど、ある日思った。
なんのために持っているんだろう
勿論、好きだから買ったんだけど、じゃあ全部そうなのかって言われるとちょっと違う。
ほーら、わたしこんなに持ってるのよすごいでしょ
みたいな気持ちというか。
数あるのが正義とは思わないと言いつつ、たくさん持っていることで得る謎の安心感。
ある意味承認欲求。
別に誰かに見せびらかす訳でもないのに。
一度読んだだけの本、一度聴いただけのCD、ならまだしも積読万歳、いつか観ようって未開封のDVDもいっぱい。
・・・アホちゃう、わたし
遺品整理しながら自分の部屋見てげんなり。
もしわたしが今死んだら、これ誰が片付けてくれるの?
って思ったら気が遠くなった。
ダメだ、こんなことじゃ。
それが始まり。
生粋のコレクター気質なので、何かハマるものが出来るとあれもこれも集めるくせにある日突然、憑き物が落ちたかのように飽きる。
すると全部手放す、その繰り返し。
好きになったアイドルだったり、好きになった作家の作品だったり、漫画だったり、色だったり、服だったり。
何かに飽きても、また何かにハマって、持ち物は一向に減る気配はなく。
そんな中で、数年前母が亡くなった。
サイズが合わなくて貰い受けることが出来なかった母の服や靴を処分し始めてから、わたしの中で何かが変わっていった。
母もわたしに負けじと劣らずコレクター気質。ああ、遺伝か。
父や母との思い出は『物』じゃない。
そこに辿り着いたら、家中の物という物が目につきだした。
3−2=1
そうだ。
家中の『物』を3分の1にしてやろう。(我ながら単純すぎる思考)
いや待てよ。
生まれてこの方ずっと物に囲まれて生きてきたから、ここから先はどこまで減らせるかやってみよう。
遺品整理ついでに身辺整理もやってみよう。
で、今に至る(まだ絶賛途中)